日本の麻雀の移り変わり

19世紀に中国で成立し全世界に広がった麻雀ですが、日本にはいつどのようにして伝わり、どのような変遷をして現在の形になったのでしょうか。由来と歴史をたどってみましょう。
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日本の麻雀の変遷

日本の黎明期

1909年に英語教師の名川彦作氏が中国の四川省から帰国したときに、現地で覚えた麻雀を持ち帰りました。また、同じ年に夏目漱石が朝日新聞紙上で麻雀を紹介しました。

 

当時の麻雀牌は象牙製などで高価だったので、文人など上流階級の人々の間だけで遊ばれていました。ルールなどもあまりよく知られていないようでした。

 

1923年の関東大震災直後、北京に滞在していたアメリカ公使のマクレー夫人が麻雀大会を催し、震災義援金を出しました。そこで、麻雀を知らない日本人は中国で商売ができないので、次第に一般にも普及していきました。

 

この頃の麻雀ルールはリーチ・ドラのない「アルシーアル」というもので、今日採用している団体は多くありません。昭和に入ってからは雀荘の数も飛躍的に増え、第一次黄金時代を迎えます。

 

当初、中国式ルールで遊ばれていた麻雀は、大正から昭和にかけて次第に日本式ルールへと変化していきました。中国式ルールでは自摸和、栄和にかかわらず三人払いが原則でしたが、日本では失点につながる支払いを放銃者が一人で行うようにルールが改正されました。

 

リーチ・ドラ麻雀の誕生

太平洋戦争中一時衰退していた麻雀は、戦前のアルシーアルルールに代わってリーチおよびドラという新ルールが生み出されたことにより復活しました。リーチは関東軍の復員兵が持ち帰ったものと言われています。

 

リーチ・ドラは、中国は言うに及ばず諸外国のいずれも採用しておらず、日本麻雀の特徴の一つです。日本麻雀にはもう一つ中国麻雀と大きく異なる振り聴というルールができました。

 

日本には栄和放銃者一人払いというルールが存在したので、振り聴で上がること、すなわち以前本人が捨てた牌で栄和するとゲーム性を大きく損ないます。そこで振り聴では上がれないというルールが登場しました。

 

第二次麻雀ブーム

1969年から『週刊大衆』に連載された阿佐田哲也の『麻雀放浪記』の記事、そしてTVでは大橋巨泉司会の『11PM』の中での放映で、麻雀は大衆に親しみをもって遊ばれるようになり、驚異的な普及を見せました。

 

その後も女子プロが登場したり、麻雀を描いた漫画やゲームセンター、インターネットによるオンライン対戦ゲームが流行ったりして、麻雀は大衆ゲームとして広く一般に定着し、親しまれています。

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