似非雀士のつぶやき

真の麻雀愛好家のとエセ雀士の違いは何でしょうか?半荘2回ぐらいだったら喜んでお付き合いするのですが、丸一日とか無理です(笑)私のようなエセ雀士の楽しみ方を紹介します。
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エセ雀士のつぶやきです

今日は、麻雀に関心があり、決して嫌いではない筆者が困っている点についてお話ししてみたいと思います。

 

なぜ麻雀愛好家の皆さんは、あんなに長く打ち続けるのですか?

たまには麻雀もいいなあと思うのに二の足を踏ませるものがあるとすれば、あの延々と続く勝負の長さです。これは例えて言うなら「たまにはクラシック音楽もいいし、ショートピースなら何曲でも続けて聴けるけど、1曲で1時間近くもあるような交響曲や4時間もあるようなオペラは勘弁」というのと同じことなのでしょうか?

 

半荘2回ぐらいなら喜んでおつき合いするのですが

筆者も半荘2回ぐらいなら、純粋にゲームとして楽しむことができます。でも、それ以上になってくるとだんだん飽きてくるのです。ゲームとしての麻雀自体は複雑なので飽きることはありませんが、何というかその場の雰囲気に飽きてしまうのですね。同じところに、同じ人たちと、同じ状態で座り続けるということが。やっぱりコンサートやオペラの場合と同じことなのでしょうか。トイレにも自由に行けない雰囲気がありますし、ましてや1人だけちょっと立ってコーヒーを淹れるなどということもできない感じです。

 

かくして真の麻雀愛好家との間の溝はなかなか埋まらず

「〇〇さん、麻雀はできる?」「はい、まあ一応」「えっ、打てるの? じゃあ今度ぜひお手合わせを」となっても、なかなか実現できない理由はそこにあります。「真の雀士」と「えせ雀士」との差は、そこの部分の体力の差というか、情熱の差にあるのでしょう。一日中平気で麻雀を打っていられる人たちを筆者は心から尊敬しますし、憧れます。そんな方たちからの「半荘2回勝負」のお誘いがもしあれば、大変嬉しいのですが。

 

そんな体力のない「えせ雀士」の楽しみ方は?

そんな筆者が一番楽しいのは、他の人が麻雀をしているときに後ろから手を覗き込んで回ることです。「ああ、この人が集めている牌は、この人が変なふうに持っちゃってるわ」「あ、それを捨てたら当たる~」などと考えながら、「すべてを知っている神」のような立場で勝負の行く末を見守るのも楽しいものです。しかし、これは打っている人たちからは大変不評です。「気が散るからあっちへ行っててくれ」と言われてしまいます。

 

かくして「えせ雀士」は永遠に「えせ雀士」のまま

こうして追い払われた「えせ雀士」は、名人たちの勝負から学ぶこともできないので上達することもないままに永遠に「えせ雀士」のままにとどまってしまうのです。名人の皆様、麻雀人口の裾野を広げたければ、こんな「えせ雀士」にもぜひ愛の手を差し伸べてやってください。

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